親に貢ぐことの是非について
私が育った環境のことは今まで散々ツイートしており、それが観測者にまとめられておりますので、詳しくはそちらやこのブログの過去の記事をご覧下さい
https://togetter.com/li/1392679
今日の夜は父のことを語ろうと思いますが、それも恐らく有能な観測者にまとめてもらえると思います。
今日私がここで語るのは、私が両親にしたことの是非についてです。
簡潔に説明すると、私は小学4年の頃に叔父に性的虐待を受け、それ以来貞操観念が狂い、両親を養うため体を売るようになりました。月収30万程でした。毎度拾ったと嘘をつきお金を渡していました。両親は(おそらく)薄々私の嘘に気づきながら何も言わずお金を受け取っていました。
それの是非について問うていこうとおもいます。
まず大前提として私の父はアル中、母はアル中のヤク中です。
タカラの4リットルペットボトルが4本入ったダンボール箱を月に5箱~消費するレベルです。
私が渡したお金はそのお酒を買うお金と、ちょっといいお酒を買うお金、お母さんの薬代、お母さんが躁状態の時に使うお金(割と無駄な出費です……ウン十万の寝袋とか人に奢るお金とか使いもしない高価なものとか)に使われていました。
父は肝臓と足に障害があり、母は身体障害・精神障害共に1級でとても働ける状態ではなく、生活保護を受給していましたが、躁状態の母の出費で毎月月末には家計は火の車でした。
父は悪い足に鞭打って時折働きに出かけましたが、それが私は見ているのが辛くて、大好きな両親を救えるならと援助交際をはじめました。
私がお金を渡すようになってからは父は働かなくなり、毎日昼間から酒をあおるようになり、母は安心して躁状態の時の無駄な出費を増やしていきました。
それを思うと、私がした行為はほんとうに正しかったのだろうかと、思い悩みます。
父と母は私が稼いだお金で買ったお酒を飲んで毎晩喧嘩しました。母の方がお酒に強く、父は酒癖が悪かったからです。
父の酒癖の悪さは異常でした。
私は酔った父に何度も首を絞められ殺されかけたし、何度も包丁を持って追いかけ回されました。焼き鳥の金属製の串で私を的にしてダーツを始めたこともあります。母は笑って見ていたので、家族団らんってこういうことかなと思い、こわいけどがまんしました。
けれど今考えると少しおかしいと思います。それは家族団らんじゃないのかなと思います。
父と母が喧嘩して、殺し合いを始めたことがあるので、私はそうならないようにずっと見守っていました。昼間は学校があるので、夜の晩酌にだけでも付き合おうと、午後5時から始まる晩酌のために4時には帰宅して食事とおつまみを作り、美味しいお酒を提供するために、少し濡らしたコップを冷凍庫に入れ、氷をタッパで作りアイスピックで割ってケースに入れ、必要な時にとりにいってお酒をつくりました。カクテルの作り方も調べて、上手に作れるよう練習しました。
晩酌を見守りながら掃除や片付けをして、タバコの時間になれば火をつけに行き、空になったコップは洗って冷やし、冷えたグラスに氷と新しいお酒を注ぎ、おつまみが足りなくなれば作り、必要に応じてダーツの的になったりしました。
笑いを取れるようなギャグやおふざけを考えては実行し、今日こそは楽しい晩酌になるよう努力しましたが、毎度毎度、両親は口喧嘩をしました。
口喧嘩にとどまったのは、結局は私が生まれてきたことが悪かったという話に持ち込み、あとで私に暴力を振るうことでストレス発散してもらっていたからです。
正直、少し、いや、かなり辛かったです。深夜3時にようやく寝付く両親を見てほっとするのもつかの間。そのあとは援助交際に向かわなければならなかったからです。
そんな生活も長くは続きませんでした。
私が渡したお金で買ったお酒で、父は酔い、母はそれにいつも通りキレて、長く続いた口論の末、父は「そこまで言うなら死んでやるよ!」と怒鳴りベランダに出てから「今から飛び降りてやるからな!321で飛び降りるぞ!」と言い放ちました。
私は止めようとしましたが、母に制止され、私の家庭では母が絶対権力だったことと、後で暴力を振るわれることが怖くて、また、さすがに飛び降りないだろう、虚言だろう、という思いから止めに入れませんでした。
けれど、実際はそのあとすぐ、3·2·1で父は本当に飛び降り、救急車で搬送されましたが、「腰が痛い……」というつぶやきを最期に亡くなりました。
さて、私がお金を稼いだことは、本当に正しかったのでしょうか。
きっと間違いだったのでしょう。
母にも何度も言われました。
「あんたがお金を拾いさえしなければ、お父さんはあの日お酒を飲まなかった。それなのにあんたは止めもしなかった!あんたのせいでお父さんは死んだ」
本当にその通りだと思います。
私が余計なことをしなければ、正しいことだけをしていれば……。
これを見ている方で親のために稼ごうなんて考えてる人はいませんか?いるなら今すぐやめて欲しい……。
治療費や、本当に生活に困っている親を真っ当な仕事で稼いだお金で助けるなら分かります。
でも私みたいに私のように稼ごうとしているなら、絶対にやめてください。間違っています。実際私は間違ってしまった。
同じ轍を踏んで欲しくないです。
お願いします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
私みたいな気持ちになる人がもう二度とこの世に現れませんようにと、毎日祈っています。
生きることは「理性」か「怠惰」か
私は幼少期からなにか上手くいかないことがある度、「死んでしまいたい」と思っていました。
保育園で友達とけんかしたとき、小学校で授業中に当てられて間違った答えを言ってしまったとき、中学校で先生に怒られたとき、…理由は本当にくだらないことばかりです。
ですが、本気で「死にたい」と思っていたし、実際に死ぬ努力も沢山してきました。
私の中では、自傷行為は小さな自殺でした。
例えば小学校で授業中に当てられて間違った答えを言ってしまったとき、みんなの笑い声が怖くて、先生にお腹が痛いと嘘をついてトイレに駆け込み、カッターで腕に線を引く。
「死にたい」という気持ちを、それでも死ぬほどの痛みは怖いから浅い傷で誤魔化す。
死にたいと思った自分だけを取り除いて殺す方法が私にとっては自傷行為でした。
けれど、歳を重ねるにつれ、そんな誤魔化しでは効かないことが増えていきます。
中学生の頃には初めての自殺未遂を起こしました。
動脈に達するリストカットをして、お風呂に入るという古典的な方法でした。
ネットで調べてこの方法が致死率が低いということ、他にもっといい方法があることは知っていましたが、そのどれもが痛くて苦しそうで、私は普段からよくやっているリストカットを選びました。
結果はご覧の通りで私は生きています。
何故その時死のうとしたか細かい理由までは覚えていませんが、「死にたい」という気持ちが膨れ上がって、もう手に負えなかったのです。
リストカットで死にたいと思った自分だけを殺しても殺してもまだ「死にたい」気持ちが出てきて溢れかえってどうしようもなかったのです。
今でもそうです。私が死にたいと述べる時、私の頭の中では、民主的に行われた多数決の結果「死にたい」が圧倒的多数で可決されているのです。
けれど何故今死のうと努力しないのか。
生きていることが一般的に正しいとされる世の中だから、皆私を生かすため躍起になっておりとても死ねる状況にないこと、
または、私の信じるキリスト教では自殺がNGだとされているからです。
この考えはどちらも「理性」によっていると考えられます。
では私の感情としてはどうか。
食べてしまいたい本能に逆らうほどのエネルギーがない。
これに尽きます。
これは「怠惰」に分類されるものだと思います。私は怠惰にいきているんでしょうか?
それでも、私は頑張って生きているぞと主張したいです。
なぜなら無理をして生きているからです。辛いのに生きているからです。
きっと「死にたい」気持ちになったことの無い人には分からないのでしょう。
「あなたが『死にたい』と言った今日は、昨日死んだ人達が死ぬほど生きたかった明日なんです」という言葉が流行るくらいですから。
私はこの言葉が意外と大好きです。
なぜなら「死ぬほど生きたかった」のなら死んで当然だからです。
だって死ぬほど、なんでしょう?
もしかしたら、私だって、「死にたい」くらいに「生きたい」と願っているのかもしれませんし、「生きるほど」「死にたい」と思っているからです。生きれば生きるほど死にたくなってしまう。生きているから死にたくなってしまう。死んでからようやく「生きたい」と思えるのかもしれません。
生きることと死ぬことはセットなのかもしれません。だって生きる話には必ず死が付きまといます。
生きることを美化すれば死ぬことは恐怖になります。死ぬことを美化すれば、生きることは恐怖になります。
生きている限り、死ぬことは漠然として当然で自然な現象です。
私を死なせないつもりの人間がいます。
24歳で死ぬという気持ちに、今のところ変わりはありません。
これからどうなっていくのか、あなたも君もお前も見守っていてくれると嬉しいです。
今朝も延命治療の薬を飲んで、今日も一日が始まりました。
頑張ることは少し無理をすることです。
けれどもみんな頑張って生きていることが、それを観測することが、私も少し無理をできる理由になっています。
なにをしても、なにもしていなくても、生きていることは生きている限り「怠惰」ではないと私は思います。
少しだけ無理をして、今日を生きて、今日も生きていてください。
私は24歳で死にますが、あなたは死なないでくださいなんて、言えませんよね。
矛盾しているようですが、あなたのほんの少しの無理が私の救いになっているんだから、死なないで欲しいです。私は利己的な人間ですから、そう思います。
少し情緒が不安定でこんなことを書いてしまいましたが、兎にも角にも、生きることは「理性」でも「怠惰」でもなく、「無理」であり「頑張ること」だと伝えたかったのです。
あなたも君もお前も私も、今日も一日頑張るる!しましょうね。
伊達や酔狂で生きていくということ
先刻、友人に、「あなたは刹那的な生き方をしている。私もそんなふうに伊達や酔狂に生きてみたかった」と言われました。
確かにその通り、私は伊達や酔狂に生きてきたと思います。
けれど「伊達や酔狂」という言葉には差別的なニュアンスが多分に含まれていますね。
なにせ、本気でやっていることを「伊達や酔狂でやっているんじゃない!」と言うくらいですから。
ですがなにせわたしは低学歴の学歴コンプ。ですので、言葉の取り違いが多々ありますから、ここであらためて、辞書を引いてみました。
「伊達や酔狂」とは、意味合い的には「ふざけて」とか「遊び感覚で」「興味本位で」などといったものだそうです。
伊達と言う言葉と酔狂という言葉を掛け合わせるとそのような意味合いになるのだそう。
ではここで、ふたつの熟語の意味をそれぞれ別々に調べてみました。
まず、「伊達」という言葉の意味は「格好つけ」「おしゃれ」「派手な振る舞い」といった意味があります。
「伊達メガネ」や「伊達男」などに代表されるような使い方ですね。
次に、「酔狂」という言葉の意味は「物好きで変わったことを好む」「酔っ払って取り乱すこと」とあります。
さらに、「酔狂」とは「粋狂」や「酔興」などとも書き換えられます。
わたしは「粋狂」という言葉が気に入りました。わたしは酒はあまり好みませんが薬によって取り乱すことは多々ありますので酔狂と呼ばれても仕方ありません。その通りです。
ですが「粋狂」という言葉の方がわたしの生き方を強く指し示しているように感じます。
粋に狂う。
私は常々、粋に生きたいと言い続けてきました。
粋という言葉には次の意味があります。
- 気質・態度・身形などがさっぱりと垢抜けていて、しかも色気があること。またはその様。
「~な姿」「~な柄」「~な店」など。⇔野暮。 - 人情の機微、特に男女関係についてよく理解した上での行動。「~な計らい」
※この場合、これを乱した者を総じて「野暮」と言う。
素敵な言葉だとは思いませんか?
だから私は無粋な人間が嫌いです。粋に生きたいと思っています。
次に、狂うという言葉の意味を調べました。
- 《五自》正常状態を失う。
- 精神が乱れ、正常な考え方ができなくなる。気が違う。「嫉妬(しっと)に―」
- 度を越して夢中になる。また、夢中で激しく動く。「ギャンブルに―」
- 物事が正常な状態でなくなる。「機械が―」
- ねらい・見込みがはずれる。計画どおりにならない。「予定が―」
これまた素敵な言葉ではないですか!
また、私を表す言葉として最適なものだと思います。
①精神疾患を抱え正常な判断ができず、
②薬、そして他人、またあることに度を越して夢中になり、
③人生が正常な状態ではなくなり、
④いつも見込みや狙いがはずれ、人生は計画どおりに行かない。
全く持って、私そのものの言葉です。
だから、友人に「伊達や酔狂で生きている」と言われたことは、とても的を得ていると思うし、なにより嬉しく感じました。
少し訂正をしたいのは、伊達と粋狂で生きているんだということです。
こう言い替えることも出来ます。
わたしは狂った生き方をしているのではなく、生きることに狂っているのです。
私は伊達な粋狂い、伊達な生き狂いです。そして生きることに酔ってもいます。
某漫画のような呼び名でかっこいいとは思いませんか?
私はこれからもそのように生きていこうと思っています。
格好つけておしゃれを気取って、物好きで変わったことを好み、生きるために酔っ払い、酔っ払うために生き、そして生きることに酔っ払いながら生き狂い続けていきたいと思います。
そんな私を面白がったり、好いてくれる人が一人でもいるのなら、生きる甲斐性がありますね。そんな人が現れてくれればなと思いこんなことを書いています。
最後までお読み頂きありがとうございました。
さぁ、生キグルイましょう!
産まれて生きてごめんなさい
24歳まで死にません
24歳まで死にません
このタイトルは偉大なるメンヘラの始祖、南条あやの「卒業式まで死にません」になぞらえてみました。
なぜ、24歳までなのかと言うと私の愛する彼、ろん氏が亡くなったのがちょうど24歳の時だからです。
私の愛する彼が苦しんで苦しんで、悩んで悩んで、それでも生き抜いた24年間の間に一体どんなことが起きるのか、それとも何も起きないのか、知りたいのです。
そしてろん氏と同じ24歳になってから吸う空気はどんな味なのか、知らずには死ねません。
だから私は24歳まで死にません。
だけど、私もなんだかんだ乙女だから、彼より歳上になってから天国で再会して、「老けたな」とか思われたくなかったりして……笑
だから私は24歳で死にます。
私は絶対という言葉はあまり使いません。絶対なんて無いと思ってるからです。
だけど、これに限っては絶対です。
私は24歳まで絶対に死にません。そして24歳になったら絶対に死にます。
いつもより少し短い記事になりましたが、語りたい事は全て語り尽くしたので、今日はここら辺で。
サクッと飛び☆降りやってみた!
表題の通りの話です。
7月上旬、私は飛び降り自殺をしました。
見ての通り、残念ながら完遂には至らず、骨盤周辺を複雑骨折して、現在急性期病院に入院中です。
こんな感じで手術も行いました。
日頃の行いが悪く、自傷行為で瀉血ばかりしていたので貧血で何度も輸血を繰り返されましたがなんやかんやで(後日談として後でまとめます)何とかなりました。
今日は飛び降りをした当日のことを語ってみたいと思います。
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初夏、私は死にたい気持ちでいっぱいでした。
結婚を約束していた恋人が、同棲中の部屋からすっかり姿を消し、行方をくらませてから2日程、私は抜け殻のようになっていました。
食事も摂らず、ろくに睡眠もできず、ただベッドにうずくまって彼の帰りを待っていました。
なぜか、もう二度と会えないような気がしていました。私のそんな予感はいつも当たるのだということを両親が亡くなったときに気付いていて、だから私は、死ぬことにしました。
彼はきっとどこかで自殺してしまったのだと思ったのです。だから後を追おうと。
もし彼が死んでなかったとしても、彼がいなくなった世界には生きる価値がないと思っていたし、彼に私の死が伝われば、彼はきっとなにか思うところがあるだろうと。そうあってくれという思いで自殺を決めました。
一度決めてしまえば頭は驚くほど早く回り、私はとても冷静に判断を下せました。
私は部屋のベランダから飛び降りることにしました。なぜならその部屋は3階だったからです。私にとってはそれは思い出の数字でした。私の父は、3階のベランダから飛び降り、自殺を完遂させたのです。
父の死因は出血多量でした。骨盤を骨折し、動脈を傷つけそこから大量の血が噴き出したそうです。
私は確実に死ぬためのプランを練りました。
まず初めに私がよくやる自傷行為、瀉血で大量に血を出しておき、失血死しやすい状況を作り、ベランダから骨盤を骨折出来るよう横向きに飛び降りる。
こうすれば、上手く行けば父とおなじ失血死で、もしくは肋骨を強打し折れた骨が内蔵を傷付け死に至るであろうと考えました。
HDDを破壊し、スマホにロックをかけ、1L程の血を抜き、足元がおぼつき視界が歪み吐き気がする中、私はベランダに出て柵によじ登り、作業的に横になりました。
あぁ、これが人生最後の〇〇か…と思いながら全ての行動をしたのに、不思議となんの感情も生まれませんでした。
ただ機械的に、業務的に、最後は死なねばならないとまで思いながら行動していたので、飛び降りる時もとてもスムーズでした。
ドンッ!!という衝撃があって、次の瞬間、私は目を見開きました。
思いのほか痛くありませんでした。
それもそのはず、飛び降りた先には、私の住む施設の職員がいたのです。意図的に助けたのだということに気づくまでにそう時間はかかりませんでした。
私はぽけーっとした頭でなんとか考えをめぐらせました。
自分は今、施設職員に抱き抱えるようにして受け止められていて、頭と胸、腹は守られていること、痛みはそんなにないが骨盤はおそらく損傷していること、施設職員の大きな声で救急車をよばれたこと、そしておそらく―――私は死ねなかったのだということ。
そこまで理解して初めて、涙が出てきました。
死ねなかったんだ、死ねなかったんだ私。
悔しくて、悲しくて、自分が情けなくて。さっきまでの冷静な頭はどこへいったのか、いきなり色々な感情が涙と一緒にこみあげてきて、それがまた悔しくて。
悔しいから痛みで泣いているということにした私を乗せた救急車が病院についてからは目まぐるしいスピードで状況が変化していって、私はそれについていくのがやっとでした。
まず骨盤が半壊していること。右足の骨が骨盤内部に侵入していること。手術をするがまた歩けるようになる保証は出来ないということ。とりあえず動脈が傷つき血がドバドバ出ているからそれを何とかするということ。入院生活は長くなること。
を告げられ、いろんな同意書にサインをして……飛び降り当日のことで覚えているのはそこまでです。
とにかく痛みが強く(骨盤は骨折の痛みが強い部位だそうです)、おそらく頭の中で「嫌な記憶」として早々に処理されてしまったのだと思います。
意識はハッキリしていたのに記憶が曖昧です。
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このように飛び降りて現在2度の手術を終え、3度目を9日に控えている状態です。
「死にたい」気持ちはというと、ある程度収まりはしたものの、一切消えていません。
次はもっと高いところから飛び降りようかなと考えているくらいです。
入院中に、彼の遺体が発見されました。
やはりそうか、という気持ちと共に、私は実際に遺体となった彼を見ていないので、「本当は生きているんじゃないか」という気持ちが混在して、現実を受け止めきれていません。
それを受け止めきれた時に私はどうなるのか、皆目検討もつきませんが、私はこれからも近況を発信していくので、その皆目検討もつかなさをどうぞ面白がってください。
それが私に出来る全力のエンターテインメントです。
正気の自傷行為
なんで私は弱くもなかったんだろう
— るるちゃんすごく正気🤕🔞 (@imaginary_log) 2019年8月11日
もう少し弱ければ完全に壊れきって精神科病棟で「あひあひ」って言ってりゃ構われて飯が出てくる生活を送れたのに、少しばかり強かったせいで理性もなくせないまま普通の人に溶け込むことだってできるんだ