伊達や酔狂で生きていくということ
先刻、友人に、「あなたは刹那的な生き方をしている。私もそんなふうに伊達や酔狂に生きてみたかった」と言われました。
確かにその通り、私は伊達や酔狂に生きてきたと思います。
けれど「伊達や酔狂」という言葉には差別的なニュアンスが多分に含まれていますね。
なにせ、本気でやっていることを「伊達や酔狂でやっているんじゃない!」と言うくらいですから。
ですがなにせわたしは低学歴の学歴コンプ。ですので、言葉の取り違いが多々ありますから、ここであらためて、辞書を引いてみました。
「伊達や酔狂」とは、意味合い的には「ふざけて」とか「遊び感覚で」「興味本位で」などといったものだそうです。
伊達と言う言葉と酔狂という言葉を掛け合わせるとそのような意味合いになるのだそう。
ではここで、ふたつの熟語の意味をそれぞれ別々に調べてみました。
まず、「伊達」という言葉の意味は「格好つけ」「おしゃれ」「派手な振る舞い」といった意味があります。
「伊達メガネ」や「伊達男」などに代表されるような使い方ですね。
次に、「酔狂」という言葉の意味は「物好きで変わったことを好む」「酔っ払って取り乱すこと」とあります。
さらに、「酔狂」とは「粋狂」や「酔興」などとも書き換えられます。
わたしは「粋狂」という言葉が気に入りました。わたしは酒はあまり好みませんが薬によって取り乱すことは多々ありますので酔狂と呼ばれても仕方ありません。その通りです。
ですが「粋狂」という言葉の方がわたしの生き方を強く指し示しているように感じます。
粋に狂う。
私は常々、粋に生きたいと言い続けてきました。
粋という言葉には次の意味があります。
- 気質・態度・身形などがさっぱりと垢抜けていて、しかも色気があること。またはその様。
「~な姿」「~な柄」「~な店」など。⇔野暮。 - 人情の機微、特に男女関係についてよく理解した上での行動。「~な計らい」
※この場合、これを乱した者を総じて「野暮」と言う。
素敵な言葉だとは思いませんか?
だから私は無粋な人間が嫌いです。粋に生きたいと思っています。
次に、狂うという言葉の意味を調べました。
- 《五自》正常状態を失う。
- 精神が乱れ、正常な考え方ができなくなる。気が違う。「嫉妬(しっと)に―」
- 度を越して夢中になる。また、夢中で激しく動く。「ギャンブルに―」
- 物事が正常な状態でなくなる。「機械が―」
- ねらい・見込みがはずれる。計画どおりにならない。「予定が―」
これまた素敵な言葉ではないですか!
また、私を表す言葉として最適なものだと思います。
①精神疾患を抱え正常な判断ができず、
②薬、そして他人、またあることに度を越して夢中になり、
③人生が正常な状態ではなくなり、
④いつも見込みや狙いがはずれ、人生は計画どおりに行かない。
全く持って、私そのものの言葉です。
だから、友人に「伊達や酔狂で生きている」と言われたことは、とても的を得ていると思うし、なにより嬉しく感じました。
少し訂正をしたいのは、伊達と粋狂で生きているんだということです。
こう言い替えることも出来ます。
わたしは狂った生き方をしているのではなく、生きることに狂っているのです。
私は伊達な粋狂い、伊達な生き狂いです。そして生きることに酔ってもいます。
某漫画のような呼び名でかっこいいとは思いませんか?
私はこれからもそのように生きていこうと思っています。
格好つけておしゃれを気取って、物好きで変わったことを好み、生きるために酔っ払い、酔っ払うために生き、そして生きることに酔っ払いながら生き狂い続けていきたいと思います。
そんな私を面白がったり、好いてくれる人が一人でもいるのなら、生きる甲斐性がありますね。そんな人が現れてくれればなと思いこんなことを書いています。
最後までお読み頂きありがとうございました。
さぁ、生キグルイましょう!