ごみくずメンタルヘルプ

精神疾患をもつクリスチャンの日記です

産まれて生きてごめんなさい

今月14日、私に恋人ができました。
亡くなった婚約者とは別の、です。
私はかねがね、「24歳になったら、彼のあとを追って死ぬ」と申してきました。
このブログでもひとつ前の記事はそれです。
今でもその気持ちに変わりはありません。
でも、どうして死ぬつもりなのかという部分は変わりつつあります。
初め、私は婚約者の彼への恋愛感情で死ぬのだと思っていました。
愛しているから死ぬ、恋しいから死ぬ、死んで彼に会いに行くのだと。

今はどうでしょうか。
新しい恋人が出来て、今一度考え直してみました。
というより考え直させられました。
「生きていて欲しい」と言われて、
「死なせない」と言われて、私はなんで死ぬんだろうと考え直させられました。

そうして気づいてしまいました。
私は亡くなった婚約者への愛や恋だけではなく、亡くなった婚約者への言い知れぬ「申し訳なさ」が相まって死のうとしていたのだと。
あんなに愛してくれた彼の後を追わないなんて無粋だと。そんな気持ちもありました。
そんな気持ちで死ぬ事の方がよっぽど無粋だと思いますが、それでも私は、今の私は、24歳になったら死ぬ気です。

今お付き合いしている人とは同棲を予定していますが、死ぬ前に全て綺麗に片付けてキッパリこの世と離別する気でいます。
かと言って今のお付き合いが「遊び半分」なのかと聞かれればそうではありません。
私は元来、愛情過多なのでしょう。
私の持つ愛情のエネルギー量は亡くなった一人に捧げるにはあまりに度が過ぎているのです。
こういえば聞こえはいいですね。
ただの浮気性だと思ってもらって構いません。事実だいたいそうですし。

「24歳まで死にません」と言う私、「死なせない」と言う彼氏、何も言わずにそっと消えていった彼の人、あの世とこの世の三角関係の終止符は、私が24歳になって、死ぬと決めている日に打たれるのだと思います。

乞うご期待!
これからも人間未遂ことごみくずるるの限界過ぎるメンヘラコンテンツっぷりをお楽しみ頂ければ幸いです。