ごみくずメンタルヘルプ

精神疾患をもつクリスチャンの日記です

嘘ついてごめんなさい

まずは、小学六年生の私が書いた作文、「心は健康な病人」をお読みください。小学六年生の頃に書いたものですから、拙い文章で読み取りづらいところや臭いところもありますが、まあそういうお年頃だったということで、目をつぶって頂けるとありがたいです。

「心は健康な病人」

ㅤ私のお母さんは、毎日病気と戦っている。むずかしい病名を4つももっている。お母さんは、今年の夏休みも、入院することになった。心エコー検査という検査で、とても悪い結果が、出てしまった。目には見えなくても、今の間にも、病気は確実に、進行しているんだ。


 夏休みに入院するから、どこにもつれていってあげられなくてごめんね。とお母さんは言う。けれど、私はどこにもつてれいってもらえなくて、不幸。とは思わない。だって一番くるしいのは、いつも笑っている、お母さんだから。


 私は医者になりたい。って思う。お母さんの病気を治してあげたい。って気持ちと、お母さんのように、くるしんでる人その家族。たくさんの人をすくいたいという気持ちがあるから。人に絶対はない。あるとすれば人間には、いつか終着点が訪れるってことだけ.よくお母さんが言うことば。私は、だったら、その最期までの時間を、より長くより充実したものにしてあげたい…心からそう思った。


 お母さんは、笑顔で言う。きれいで高価な花よりも、私は野にさく花になりたい。ふまれたって、けられたって、また立ち上がる。たんぽぽのようになりたい。って言っていた。いままで全然気付かなかったことだ。そうだね。たんぽぽは、ふまれても、けられても、くじけたりしない。また立ち上がる。どこにでもある花だけど、すごい花なんだ。そして、一生をおえた花は、たくさんの種をまく。今まで、気にとめなかったものが、どんどんあざやかにみえる。私の世界は、ずいぶんせまかったんだなぁ…と思う。


 お母さんは足を引きずるようになった。つらくないの。と私がきくと、いつもこう答える。生きてる証こ。って。そっか。そうなんだ。いろんなものがあざやかに見えるのも、生きているから。楽しいのも、おもしろいのも、笑っちゃうのも、悲しいのも、くるしいことすら、生きているから。全部、ぜんぶ生きているからなんだ。生きているから、感じられること。今まではずっと不思議だった。お母さんは、何万人に1人の病気と戦っているのに、どうして笑っていられるのだろう。って。でも、きっとその答えも、生きている証こーーだと思う。


 ふまれたって、けられたって、立ち上がる。それが私のお母さん。
 やっぱり、お母さんは心の健康な病人だ。

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どうでしょうか?なにか違和感を感じませんでしょうか?
今まで私がブログやTwitterで語ってきた生育歴との相違点を感じませんか?
私は感じます。この文章は私が小学六年生の夏休みに書いた作文で、朝日新聞社賞という賞をとった作文なので朝日新聞に取材を受け、作文とともに載せられていたものです。
奇しくもその作文を見て感動した!という方がいて、私の作文全文をブログにアップしてくれていたので、残っていました。
私の本名で検索すれば出てくるものですが、ここにリンクを貼っておきます。

https://ameblo.jp/tasogarematsu/entry-12499285931.html

私は何より、このブログを書いて下さった方に謝罪したいです。「嘘ついてごめんなさい」と。

実はこの作文、母親の機嫌を取るために書いたものなのです。夜なべして書いて、朝わざとらしく原稿を置いた机に突っ伏して眠っていたのです。
当然昼頃起きてきた母親に気づかれて起こされて、「なんでこんな所で寝てるの?邪魔なんだけど」といわれましたが、私が「ごめんなさい、夏休みの宿題をやってました」と言って書きあげた原稿を見せると、一気に機嫌が良くなり「お前わかってんのお」と言われて、とても嬉しい気持ちになりました。
だから、この作文はほとんど嘘なんです。
いや、これを書きあげた時は本当にこういう気持ちだったのかもしれませんが、今は嘘っぱちだと言えます。

お母さんのために書いた作文だから、お母さんが気持ち良くなれる言葉だけを選び抜いて書きました。
そんな作文で心動かされた人間がいた事が私は申し訳なく感じます。
本当はこの裏舞台では援交して稼いで家族を養っていたのです。舞台裏まで綺麗な舞台などありませんが、それでも、ごめんなさい。
嘘ついてごめんなさい。

本当に嘘ついてごめんなさい。