ごみくずメンタルヘルプ

精神疾患をもつクリスチャンの日記です

幸せってなあに?

先日、親愛なる友人にこのような事を言われました。


「るるの人生録を見聞きしていると、自分は恵まれてる方なんだなと実感して、悩んでいる自分が恥ずかしくなる」


私はその時のことを鮮明に覚えています。
真っ向から反論しました。それはそれはもう必死に「お前の意見は間違ってる」といいました。

喧嘩腰で反論しました。
だって間違ってるからです。
いくら大好きな友人だからといってそのような発言は許せませんでした。
それは正直にいえば、実際彼女が恵まれているとは言い難い環境にいるということもありましたが、それだけではありません。

 

私が私の人生を語るのは私のためであり、

私の人生は私の所有物であり、

だから私の人生を他人と比較されるのは私に対する侮辱であるからです。


別に、暗に私が「恵まれていない」と言われたことが気に食わないのではなく、目には見えない私の所有物を勝手に己の所有物と比べて自己嫌悪に陥られた事が最も気に食わなかったのです。
違う環境で育ったことが分かっているなら、なぜ違う価値観を持ち、違う尺度でものを測るのだということも分からないのかと。

なぜ今の私だけを見てくれないのと。

私がもし、とても恵まれた環境に生まれ育ったとて、今のように病んでいたかもしれない。

リストカットだって、オーバードーズだって、親がしてなくても自分で勝手に見つけてやってたかもしれないじゃないですか。
そんなの自分の勝手でしょう。

みんな自分の勝手で生きるから、恵まれてる人、そうでない人が生まれるのでしょう。

だから私も自分の勝手を言わせてもらいますね。

 

なぜか私の周りの人間は私の人生録を聞くと萎えたり喧嘩腰になったり、張り合おうとしたり避けたりする。
私はそれをやめて欲しい。
なぜなら今の私は胸を張って言えるほど、幸せだからです。
そりゃ辛い時もあります。悲しい時もあります。病める時も健やかなる時もあります。

そんな様々な感情をひっくるめても、それでもわたしは胸を張って言える!

幸せであると!
私は過去の話はしますが過去に縛られてはいません。

そんな私を過去の話だけで「恵まれてる」とか「恵まれてない」とかそんな目で見ないでください。

 

あなたはいつまで私を「可哀想な過去を持つ悲劇の少女」として見るのですか。

あなたはいつまで自分を「まあそこそこ恵まれた環境なのにこんな風になってしまった哀れな人間」だとか「苦しい環境で育った悲劇の人物」として捉えるのですか。

過去のことも、今置かれている環境も、私からしたら知ったこっちゃありません。

たとえあなたが川で拾われた子でも、親に虐待を受けてきた子でも、裕福な家庭で育ったおぼっちゃまでも、愛されて育った心豊かな少女でも、私からしたらどうでもいい話です。

なぜなら過去も現在もひっくるめてあなたの置かれた環境は私には変えられないし、あなたの置かれた場所であなたは咲くしかないし、わたしはあなたの置かれた環境が好きなわけでもなんでもないです。
ただあなたのことが好きなんです。
ただ全人類を愛しているんです。

胸が張り裂けそうな程に、人間が愛おしいのです。

 

まあ、全人類を愛していると言っても、私は私と自分を比べる人には厳しく接します。
だって気に入らないからです。
それが私の今の人格です。


置かれた環境じゃなくて、今の私を見てください。
私はあなたの置かれた環境じゃなくて今必死に咲こうとしているあなたをみているのだから。

だからあなたも君もお前もそうしろ!
というのは私の自分勝手ですが、私はそういう風に思っているということをお伝えしておきます。


最後になりますが、主題に入ります。
「幸せってなあに?」答えはお前が決めてください。
何より私はお前の幸せを望んでいるというということはここで明言しておきます。

 

幸福に生きよ!


私はこの言葉が大好きです。
発言元はお前が勝手に調べてください。

 

幸福に生きよ!!

 

以上、人間未遂ごみくずるるからの言伝でした。