虐待は遺伝子か?
今日は、私も、私の母も受けてきた「虐待」…それは遺伝子によるものなのか?というお話をしますね。
ちなみにこちら、Twitterでもお話したものを校正してアップしている記事になります。
もしかしたら有能な観測者が先にまとめてくれているかもしれません。
あれ以降記事がまた増えていますので、良かったら見ていってください。私のライトな人生録や、私の価値観についてのツイートなどが私のツイートを使って上手にまとめられています。
https://togetter.com/li/1392679
さて、話は戻ります。
皆さんは、「虐待のチェーン現象」という言葉を聞いたことはありますか?
噛み砕いて説明すると虐待を受けた子供が大人になって子供を産んだ時、親のように虐待を繰り返してしまい、その子供も……と言うやつです。
私はこれこそ真理だと思っています。
ですから、私の中では「虐待は遺伝子」なわけです。
ではなぜそう思うのか?理由を述べていきますね。
母の家系は代々屋根屋を営んでいて、私の大嫌いな叔父が今はそれを継いで何代目かの当主としての地位に座しています。叔父は母にとっては弟です。他に妹もいます。
つまり叔父は三人兄妹の末っ子であり、母は三人兄妹の長女だったわけです。
はっきり言って、母は望まれて生まれてきた子ではありませんでした。屋根屋を営む祖父母にとっては、女の子供はいらなかったからです。
初めのうちは、まあ仕方ないか、次に男の子を作って、面倒を見て貰えるようにしっかりした子に育てればいいや……といった気持ちだったのだと思います。小学生くらいまでは母自身、厳しくも大切に育てられたと言っていました。
まあ、時折統合失調症を名乗ることもあった母の言い分がどこまで正確なことかは今は考えないでおきます。情報源も、母と母の妹が話していたことくらいしかない事ですし。
そう、母には妹がいたのです。
なかなか生まれなかった次の子供はまたしても女の子だったのです。
そこで祖父は苛立ちがピークに達し、祖母にも辛く当たるようになり、母へのしつけは虐待へと変わっていきました。
ちなみになんだかんだ言っても自分の子供は可愛かったのでしょう、次に生まれた母にとっての妹は大事に育てられました。
そして次に生まれたのは弟……私から見れば憎き叔父…。
彼は、それはそれは大事に育てられ、母はほぼ見世物状態にされていました。
妹と弟に対して、自分に逆らうとこうなるのだぞ、という意味合いも込めた虐待だったんだと思います。
お母さんがいちばん辛かったと何度も私に語ったのは、真冬に裸で外に放り出されたことです。
寒さに耐えかね、うちに入ろうとすると、殴る蹴るの暴行を受け、アザだらけのからだを震わせながら、逃げるように家を飛び出し裸のまま玄関から少し離れた場所で隠れていたその時……にやにやしながらこちらへ寄る若者にそのままレイプをされたこともあったそうです。私はそれを聞いて、祖父母に対して怒りしか湧きませんでした。だからといって何が出来るわけでもないのですが。
さて、そんな母も紆余曲折あって私を産み落とします。30代後半で私を産みました。悩みに悩んでの出産だったそうです。
母は高校に行くお金を出してもらえなかったため、学歴は中卒止まりでしたが、地頭がよかったのか、博識で、周りが知らないようなことをよく知っていました。
冒頭の「虐待のチェーン現象」というものについてもくわしく知っていました。
自分も同じ轍を踏むんじゃないかという思いから、私を産むことを散々躊躇ったのち、あるルールを思いつき、それに則って私を育てることにより、虐待の連鎖を防げると考え、私を産む決断をしました。
そのルールに追追、わたしは苦しめられ続けることになるのですが、兎にも角にもまずはそのルールが如何なものだったか説明します。
「子育てのストレスを溜めないように、虐待されたことも全て子供に打ち明けて、素直に今思っていることを伝える」
これです!!これが私がひねくれた諸悪の根源!!
さて、そんなルールに則って生まれた私の現状は見ての通りですよ!!
世の中そんなに上手くは行きません!
母はちゃんとルールを守って私を育ててくれましたが、私は逆に「それだけはやめてほしかった……」と思っております。
毎日毎晩、「おまえなんか産むんじゃなかった……死んでくれ」と言われながら、殴られる子供の気持ちが分かりますでしょうか?お母さん?
「お前を産んだせいでこれこれこういうストレスがかかっていますので今から殴らせて頂きますが、全てはお前が悪いので抵抗する権利はのうございます」
とまあ翻訳するとそういうふうなことを言われながら殴られる子供の気持ち、分かりますでしょうか?お母さん??
お母さーーーーん!?!?!?
あ、死んだんだったてへぺろりん
まあそれは置いといて!過去の話ですからね!これからの話をしましょう!!
私は多分子供を産みません。
多分というのは私はクリスチャンですから、もし子供が出来たら、産まざるを得ないという可能性の可能性のようなものまではらませて(孕むだけに)お話しております。
キリストと出会うまで私は
「私は酷い目にあってきた!だから酷いことをしてもいいんだ!」
と思っていました。
キリストと出会って聖書に触れてからは変わりましたが、それでも人間、いざと言う時は根っこの部分は変わらないものです。
きっと同じ過ちを繰り返すでしょう。
偽善を吐きながら、外では苦しんだ私だけをみせながら、家では子供を殴る……。そんな人に私は…なりたくない……ッッ!!
例えそうならなかったとしても、私が子供を産むだけで虐待になるような気がします。
だって私はこの世に生まれて
とてもとても辛い!!!死にたい!!!
そんな気持ちを抱えているくせに子供を産むなんて、そんな気持ちになるかもしれない子供を産むなんて酷くないですか?
だから私は子供を作る気はありません。
冒頭に戻りましょう。「虐待は遺伝子か?」
声高に言いましょう、YESです!!
虐待は絶対に子供を幸せにしません。ですから、子供は生きているだけで辛い思いをします。そんな子供が大人になって、辛い気持ちを抱えたまま子供を産むことは、それこそ虐待です!虐待され、辛い気持ちを抱える人が1番初めに行う虐待になってしまうのです!
私はこれに気づいてしまったからには、この負の連鎖をここで食い止める使命があるとおもっています。
この負の連鎖をここで食い止めます。
私は絶対に子供を作らない!!!
以上、最近周りの人から色々と助言を受け、ようやく自分を被虐待児だと気付いた、被虐待児の人間未遂ごみくずるるがおとどけしました!!!
虐待ダメ、ゼッタイ!
追記
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