わたしのマイノリティー
わたしはひとりぼっちで生きてきました。
中学2年の頃、両親が他界しました。
もともと親戚との繋がりも薄く、戸籍上も縁を切っていた両親ですから、わたしはほぼ自動的に天涯孤独の道を歩むことになりました。
父は私と母の目の前で飛び降り自殺をして、母はその後を追うかのように、半年も経たないうちに病死しました。
わたしが学校から帰宅した時には息を引き取っており、駆けつけた警官に救急車すら呼んでもらえませんでした。
中学生といえど、まだ幼かった私は、寂しい思いもしましたが、両親共に失ったその時、少し安心してしまったことをよく覚えています。
幼い子供にとって、家庭は世界で両親は神さまです。
物心ついた頃からそれは徐々に変化し、成長していくものなのですが、わたしにはそれが薄かったように思います。
少なくとも、両親ともになくしてからも、しばらくは彼ら2人が私にとっての神様でした。
父はアルコール中毒、母は重度の精神疾患と身体障害を抱えていたのですが、二人揃って複雑な家庭で育ったことが原因でしょうか?
私の家庭は非常に閉鎖的で、今思うと異常でした。
父の晩酌の為に午後4時には必ず帰宅することが我が家の絶対的なルールで。
友達と遊ぶこともほとんど許されませんでした。
また、母の抱える精神疾患《双極性障害》のため、躁状態の時の我が家は非常に良くお金を使いました。
ですが両親ともに病気ですから、稼ぎもなく、生活保護を受けていた我が家に余裕はなく、明日の食い扶持もしれない身でそのようなことをすれば…当然どこかで誰かがその穴埋めをしなければなりません。
そこで白羽の矢がたったのが私です。
まだ小学低学年だったころは、家族3人で近所のコンビニへ出かけ、頭を下げて廃棄のお弁当をもらったりしていたのですが、それも出来なくなった時期ーー
わたしは深夜、ひとり家を出て、体を売るようになりました。
この頃のことを思い出すのは未だとても辛く苦しいため、詳しくはまだ書けませんが、「拾ったよ」と嘘をついて両親にお金を渡す私も、
薄々感づきながらも何も言わずにお金を受け取る両親も、異常だったといまは思います。
ですが、それが私たち家族にとっての絆の形でした。
けれど、私も中学2年の多感な時期、そんな生活には息切れをしていたんだと思います。
それから解放されるとわかったことに、ほっとしてしまっていたのです。
もちろん、それ以上に両親との別れは悲しかったし、ほっとしてしまった自分を許せなかったりもしました。
実際、児童相談所の一時保護所に入れられたとき、私に「つらかったわね…」と言ってくる先生に、
「いえ、私全然辛くありません、むしろここにきて安心しています。正直親のこと、あまり好きじゃなかったので」
と冗談めかして言ってみせると、困惑したような、それでいてどこか気持ち悪いものを見るような顔で「そういう言い方は良くないわ」と窘められました。
里親さんのおうちに行った時にも似たような発言をしましたが、こちらは毎日のように親とはいかに尊いかをこんこんと言ってきかされました。
先生や里親さんの言ってることは道徳的に正しいことだと思います。
でも、道徳ってなんだろうと思います。
私は完全に自分が正しいなんて思わないけど、それでも親が死なずにまだ生きていたら…と考えるとどうしても辛いのです。
私の方が先に自殺していたかもしれません。
それでも、私の家族は尊いものだったのだろうか。
それでも私は彼らを愛して然るべきだったのだろうか。
道徳は人の心のためにあるのではないのか。
ならば、私の心は人の心では無いのだろうか。
私の心はあの家庭に守られてなどいなかったのだから。
だけど先生や里親さんが言ってることは何一つ間違いじゃありません。
道徳は大多数の人を守るためにあるのでしょう。そして私は多数派の人間ではなかった。
ときに、道徳は人を傷つけます。
誰かを守ろうとすれば、誰かが傷つく世の中です。ならばより多くの者を守ろうとするのは自然なはたらきです。
それでも私は私を見て欲しい。
私がいかにマイノリティーであろうと、見ないふりをしないで欲しい。
生まれてきてしまったのだから。